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講演

昨日聞いてきた、『なんでんかんでん』社長の川原ひろし氏の話です。

「次は、坦々麺がくる。」こう言っていたそうです。

「次は、坦々麺がくる。」こう言っていたそうです。

「次は、坦々麺がくる。」こう言っていたそうです。

三度繰り返しました。
でも、この話が本当かどうか半年から一年くらいで結果が現れるのではないでしょうか。
この話は社長と名刺交換に行った、先輩が話していました。講演の内容には無かった話なので内緒っぽい雰囲気でワクワクします。

え~、本題です。

まず、彼はラーメン屋さんになるつもりなど毛頭無く博多より上京してきたそうです。音大受験が一番の動機だったそうです。
なんと!!オペラ歌手になりたかったのだそうです。実際に少し歌声を披露してくれましたが、確かにそれっぽい声量と声質でした。しかし、声がデカイ。

その後Wけんじという一斉風靡した漫才コンビの前座歌手とや司会をしたりして生活していたそうです。

そんな彼がなぜ【ラーメン屋】という道に入ったのか簡単にいうと

《うまい豚骨ラーメンが東京に無かったから》だそうです。

当時も看板だけは豚骨を謳ったニセラーメン屋さんはあったそうですが、本当に豚の骨をつかってスープをとっている店は無かったそうです。
やはり故郷を懐かしく思う気持ちが豚骨ラーメンの看板に足を向けさせたそうです。
しかし、一軒たりとも本物の豚骨ラーメンを出している店にはめぐり合えなかったそうです。

そんな彼がラーメン屋さんになる決意をしたのは一軒の小さな醤油ラーメンをだす店だったそうです。
カウンターしかないような小さな小さな建物に、アリのごとく人が群がってラーメンを食べている店を見つけたそうです。
入ってみると醤油ラーメンのお店でした。
食べてみてその脂の多さに驚いたそうです。
サッパリしたイメージのあった東京の醤油ラーメンと違って、その食べ応えに涙がでた。と言っていました。
東京に来てラーメンを全部食べたのはそれが初めてだったそうです。

東京の人もこんな脂の多いラーメンを食べるんだ。』

『これなら豚骨ラーメンのこってりしたスープが受け入れられないはずが無い。』と確信したそうです。

そんなキッカケで始まった【なんでんかんでん】ですが、まず材料の仕入れから勝手がちがったそうです。
豚のガラが手に入らなかったので、肉のついた豚の頭を骨にするところからはじめたとのこと。手間が倍くらいかかる、それはそれはたいへんな作業です。

しかし、当時一日100万円売り上げたそうです。今では40~50万円がいいトコって言ってました。繁盛振りが伺えます。
駐車場が無く警察が一日20回来たこともあったそうです。
交通事故も日常茶飯事だったとのこと。環状7号線沿いの繁盛ラーメン店ならではの苦労です。

テレビ番組【マネーの虎】の裏話も少ししてくれました。
オーディションが一番面白いそうです。

ホモの大学教授がホモ専用の総合病院を作りたい。とか

自称幽霊が見える人がゴーストバスターズの会社を作りたいとか、

いろんな人間を見ることができて本当ビックリするそうです。
でも、なかなか放送してくれないとのこと。残念。

そんな彼が言っていたいくつもの話の中で一番印象に残ったのは

《どんな商売やどんなアイデアでも誰がやるかが肝心だ。》という言葉です。

《結局最後は人柄だ。》と。

あの人がやったからこの商売は成功した。あの人がやったから失敗した。とか同じものをやっても違う結果になるのはその人柄が大きく左右する。

勉強になりました。

しかも、彼のおじいさんは明太子を作り出した人なのだそうです。
昭和24年の話です。
博多といえば明太子。名物を作り出した家系なんですね。
そして、講演のなかで【ビックリ】という言葉を32回使いました。
ビックリ
ちなみに中学校のときに社会のY先生は授業中に4回しか口を閉じませんでした。