月別アーカイブ: 2008年8月

空手と私の成長~その16

しばらく間が空きましたが、続きです。

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大学を卒業して、社会人になってから空手への関わり方はだんだんと疎遠になってきました。
新社会人として仕事を覚えたり、先輩と飲みに行ったり昼も夜もなんだか忙しいような忙しぶっているような時間が流れ、年に一度行われる市町村対抗戦みたいな大会に呼ばれて試合をちょこっとするくらいしか道着に袖を通すこともなくなっていた状態でした。
競技に打ち込めるのはなんだかんだ言っても、学生時代が一番だと感じます。学生じゃなくなってから初めて本当の意味で理解しました。

そして、この【空手道】という競技がもっとメジャーだったら、、もしオリンピック競技だったら。。。ということも時節柄考えてしまいました。

競技人口がもっと増えるでしょう。日本では野球・サッカーなどのプロ化している競技に身体的に優秀な人材が多く流れていますが、そういう人が空手界に流れていたら、きっと私程度の人間はさして目立たない選手だったろうとも。。

社会人になってからは一時期、段位修得のため道場に通いました。三段に挑戦です。あることをきっかけに発起したのでした。物事に集中するということは、他のことでもいい循環をもたらしてくれるようで、その三段修得を経て現在の私があるとも感じています。

その後、結婚などから更に疎遠になってしまって今日に至っております。

太極拳もやってみたいな。と思っている今日この頃です。

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秋の味

秋刀魚

秋刀魚

初秋刀魚をいただきました。
昨夜はleaf実家の近くで花火大会を見物する予定で夕方からお邪魔しました。
お夕飯に秋刀魚をいただきました。美味でした。
半分くらいはナガオーが食べました。旨さがわかるようで、夢中で食べていました。魚好きな我が子です。
雨降りに見舞われ、残念ながら花火は延期になったようです。

いつかな?今夜かな?

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ポンプ操法県大会

平成20年群馬県消防ポンプ操法大会

平成20年群馬県消防ポンプ操法大会

先日、群馬県消防ポンプ操法大会が開催され見学に行ってきました。流石に県大会だけあって、皆さん気合が入っていました。
公式記録は発表されませんので、個人的に記録したものを撮らせてもらいました。
タイムのみですが、ご覧ください。
すごいタイムです。

ちなみに上段の標準時間は55秒、下段は65秒です。

ちなみに優勝チームは全国大会だそうです。どこなんでしょう?

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はにわの里祭りにて

話が若干前後しますが、はにわの里祭りでの一コマです。

消防車試乗

消防車試乗

Jくんと一緒に展示してあった消防車でパチリ。サイレンなどにビビッてすぐ下りました。

バックホー試乗

バックホー試乗

乗りたいと自ら申し出たパワーショベル

バックホー試乗2

バックホー試乗2

気に入った様子

今回、ナガオーは【はにわの里祭り】デビューとなり、夜の花火まで観て帰りました。お友達のSちゃん一家も一緒に着ぐるみレンジャーショーなど楽しんだ模様です。お土産におもちゃの剣をいただきましたが、それを持って「ゴーオンジャー!ゴーオンジャー!」とときどき振り回しています。
一方、父ナガコウは毎年の事ながらテントで出店の売子やら、カキ氷の製造やらとしておりまして、少し働いておりました。
長丁場で疲れました。グッタリ。。

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イケアでの収穫

吊るす椅子

吊るす椅子

天井から吊るすブランコみたいな揺り椅子

木の汽車

木の汽車

木の汽車セット

箱馬

箱馬

箱馬(これも揺れます)

子供用食器

子供用食器

子供用のテーブルと椅子セット(組立式)とチビッ子来客時のプラスチックの器セット
この前の日曜日に予てから行きたいと思っていたイケアという家具屋さんに行ってきました。
私の一番の目的は最初の写真の揺り椅子です。思わぬ収穫だったので子供用の椅子とテーブルセットでした。レジの前のアウトレットコーナーに約半額の3500円で置いてありました。お買い得でした。
初めて第三京浜という道路を通りましたが、便利ですね。ナビ無しの車ですが、迷わず行けました。

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すなわち、「これでいいのだ」と。

赤塚不二夫さんの葬儀の際のタモリの弔辞があまりにも素晴らしいので記録として載せます。
livedoor ニュース
◆タモリ弔辞全文◆
弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。
合掌。
平成20年8月7日、森田一義

私の仕事の形態としてほぼ毎日、昼食は自宅で摂ります。およそ一時間の休みもモチロン自宅です。そのためほぼ毎日、「笑っていいとも」を観ています。
昼寝をして半分も覚えていない日もありますが、年間概ね百数十回あるいは二百回以上です。
タモリから感じる知性や笑いのセンスは、私のお手本とするところだと思っております。
以前、関西の先輩から「関西ではタモリはオモロイと思われてへんよ。」みたいなことを言われ、軽くカルチャーショックを受けたことを覚えています。
確かに、関西芸人がいいともに出演して登場したときタモリはさして絡みません。サラッと紹介するパターンが多く見受けられます。(今でこそ麒麟田村や、FUJIWARA藤本などには絡むことも見られます。)
その辺が【タモリは関西芸人に冷たい→関西芸人を面白く扱えない→タモリはおもろくない】といった構図で浸透しているのかもしれないと考察いたします。
しかし、彼の考える面白さは登場のインパクトや一発芸の勢いなどではなく、軽めのタッチでサラッとニヒルに。といったものではないかと思います。デビュー当時のことはよくわかりませんが、今私が観ているタモリからはそんな気がします。

今回の弔辞を読んで、感じたことはタモリの赤塚不二夫へ言葉以上に大きな感謝の気持ちと彼の知性、そして日本語の素晴らしさです。

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先日の夜、いつものように八時過ぎに子供を寝かしつけるため布団でゴロゴロしていました。
そろそろ口数も減ってきて寝入るかな?と感じたとき、わが子ナガオーが「果報は寝て待て。」といきなり言いました。

ビックリしました。
どこで覚えたんだろう?

その後、私が「果報は…なんだっけ?」と聞いても繰り返すだけで続きは言えません。

彼に何が起きていたのでしょうか?ほぼ毎日観ているこの番組で覚えたのかな?

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