【土葬の歴史】群馬県に残る弔いの記憶|昭和の墓地改修から見る時代の変化

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からっ風が冷たくなる季節、お墓のことを考える

12月に入り、高崎も朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。冷たい風が石材置き場を吹き抜けていきます。こんな季節になると、なぜか先代の話を思い出すことが増えます。

先日、大分県で土葬墓地の整備が話題になっていました。実は私の父の代、今から50年ほど前の群馬では、土葬からお墓を掘り起こして新しい墓地へ埋葬し直す仕事が結構あったんです。

「土葬掘り」という仕事でした。

今では想像しづらいかもしれませんが、群馬県でも昭和の中頃までは、地域によって土葬が普通に行われていたんです。石屋として長年この仕事をしてきた立場から、群馬の土葬文化と火葬への転換について、現場で見てきたことをお話ししたいと思います。

群馬県に残る土葬時代の記憶

群馬県では、今でも土葬時代の名残を感じる習慣が残っています。

例えば、葬儀のことを「ジャンボン」と呼ぶ地域があります。これは土葬時代に葬列の先頭で僧侶が鳴らしていた打楽器の音から来ているそうです。かつて棺桶を担いで墓地まで運んだ「野辺送り」の習慣が、言葉として受け継がれているんですね。

父に聞いた話ですが、昭和30年代頃までは、高崎や前橋の周辺でも土葬が行われていた地域がありました。土饅頭と呼ばれる、土を盛り上げただけのお墓です。そこに野位牌という木の位牌を立てていました。墓石を建てるのは、もう少し後の時代になってからです。

私が石材店を継いだ頃には、もう土葬はほとんど見かけませんでした。ただ、古い墓地を改修する際に土葬墓を見つけることはありました。深さ1メートル以上掘ると、埋葬物の痕跡が出てくることがあったんです。

土葬から火葬へ、群馬での転換はいつ頃だったのか

日本全体では、明治時代に火葬が推進され始めました。最初は明治6年に火葬禁止令が出たものの、わずか2年で撤回されています。理由は衛生面の問題と、都市部での土地不足でした。

その後、大正7年には全国の火葬率が50%を超え、土葬は半数以下に減っていきました。でも群馬県では、北関東という地域性もあって、火葬への転換は比較的ゆっくりだったようです。

実際、父の代の仕事では土葬掘りが多かったと聞いています。昭和30年代から40年代にかけて、区画整理や墓地移転に伴って、土葬されていたご先祖様を新しい墓地に移す仕事が続いたそうです。

火葬炉の整備が進み、火葬場が身近になったのは、やはり高度経済成長期以降でしょうか。高崎や前橋といった都市部から徐々に広がっていきました。

なぜ土葬から火葬へ変わったのか

理由はいくつかあります。

一つは衛生面です。土の中で遺体が腐敗することで、地下水への影響や感染症の懸念がありました。特に都市部では人口が密集しているため、公衆衛生の観点から火葬が求められました。

もう一つは土地の問題です。土葬にはある程度広い墓地が必要です。一区画あたり、だいたい2メートル四方は必要になります。人口が増えると、そんな広い墓地を確保するのが難しくなっていきました。

火葬であれば、骨壺に納めた遺骨を埋葬するだけなので、墓地面積は半分以下で済みます。これは大きかったと思います。

それから、時代の流れというものもあります。戦後の新しい生活様式の中で、古い習慣が見直されていきました。群馬県では「新生活運動」という、冠婚葬祭の簡素化を推進する動きもありました。高崎市が中心となって進めたこの運動は、経済的な負担を減らすことも目的の一つでした。

現在の群馬県では土葬はできるのか?

法律上、土葬は禁止されてはいません。ただし現実的には、ほぼ不可能に近いというのが実情です。

全国的に見ても、現在の火葬率は99.9%を超えています。土葬を許可している自治体は、三重県や奈良県などその中でもごくごく一部に限られています。群馬県内では、条例で土葬を制限している自治体がほとんどです。

仮に土葬を希望しても、受け入れてくれる墓地を探すのが非常に困難です。管理上の問題や、周辺住民の理解を得ることも必要になります。費用面でも、土葬のための広い区画を確保するとなると、通常のお墓の何倍もかかることになるでしょう。

石材店として長年仕事をしてきましたが、お客様から土葬の相談を受けたことは一度もありません。時代が変わったということですね。

土葬墓地の改修工事で感じること

古い墓地を改修する仕事では、今でも土葬の痕跡に出会うことがあります。

先日も、榛東村の古い墓地で改修工事をしました。昭和初期に造られた墓地で、掘削してみると棺の木片が出てきました。深さは1.2メートルほど。こういった場合は、丁寧に土を取り除いて、お骨を骨壺に納め直します。

作業しながら、「この方はどんな人生を歩まれたのだろう」と考えます。昭和初期といえば、戦争を経験された世代かもしれません。群馬の地で懸命に生きて、この土に還られた。

そんな方々のご遺骨を扱う時は、自然と背筋が伸びます。石屋の仕事は、ただ石を積むだけじゃないんです。ご先祖様への敬意と、ご遺族の想いをつなぐ仕事だと思っています。

土葬墓地改修の費用について

土葬墓地の改修工事は、通常のお墓の移転よりも手間がかかります。

まず、お骨を取り出す作業があります。土葬の場合、遺体の状態によってはお骨が土と混ざっていることもあります。丁寧に洗骨して、骨壺に納める作業が必要です。

費用は、墓地の立地条件やお墓の大きさによって変わりますが、おおよそ以下のような内訳になります。

・墓石の解体撤去:15〜30万円
・土葬墓の掘削・洗骨:10〜20万円
・行政手続き(改葬許可申請):3〜5万円
・新しい納骨先の費用:10〜100万円以上

合計すると、40万円から150万円程度が相場になります。新しい納骨先を永代供養墓や樹木葬にすれば、費用を抑えることもできます。群馬県内では、樹木葬の平均が50万円程度ですから、全体で100万円以内に収めることも可能です。

これからの弔いのかたち

土葬から火葬へ、そして今は永代供養や樹木葬といった新しい供養のかたちが広がっています。

時代とともに弔いの方法は変わっていきますが、大切なのは「故人を想う気持ち」だと私は思います。土葬でも火葬でも、どんな形式であっても、その根底にあるのはご先祖様への感謝と敬意です。

高崎や前橋、榛東、吉岡、渋川、安中、富岡…。群馬の各地で、皆さんそれぞれの形でご先祖様を弔っておられます。石材店として、その想いを形にするお手伝いができることが、私たち長沼石材店のやりがいです。

父の代から受け継いだ技術と経験。そして現代の感性。両方を大切にしながら、これからもお墓づくりに向き合っていきたいと思っています。

お墓のことで悩んだら、気軽にご相談ください

土葬墓地の改修、墓じまい、新しいお墓の建立…。お墓のことなら、どんな小さなことでも構いません。

「古い墓地を整理したいけど、どうすればいいの?」
「父の代から続く土葬墓があるんだけど…」
「費用はどれくらいかかるの?」

こういったご相談、実はとても多いんです。一人で悩まずに、まずはお話を聞かせてください。現場を見せていただければ、具体的なアドバイスができます。

創業100余年の長沼石材店。群馬の地で、石と向き合い、人と向き合ってきました。お墓は、ご家族の絆をつなぐ大切な場所です。その想いを、私たちにお手伝いさせてください。

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