長沼石材店の沿革

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初代 榮吉

初代・長沼榮吉は明治28年(1895年)に栃木縣安蘇郡堀米町(現在の栃木県佐野市堀米町に父多忠、母ノブの三男として生まれました。上京し、縁あって石工に道を定め技術を磨きした。皇居御用達の親方についたこともあり、厳しく育てられました。
その後独立し渡り職人として全国各地で仕事をしていました。群馬県庁昭和庁舎建設にあたり、群馬県前橋市にて居を構え、石工事全般を請け負うようになりました。
昭和5年に現所在地(当時は群馬郡金古町)に転居し、長沼石材店を創業しました。国会議事堂建設などにも赴きました。

群馬県庁昭和庁舎
昭和3年(1928年)、日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂の設計者である佐藤功一により設計され、建築された。建設当時からスチーム暖房・水洗トイレ・電気式集中時計が整備されるなど、関東近県では最も先進的な建築技術を駆使した建造物であった。平成8年(1996年)国登録有形文化財に登録。

国会議事堂
大正9年(1920年)に着工、17年の年月かけて昭和11年(1937年)11月に完成。外装は3種類の花崗岩を使った石積みで、内装には33種類の大理石、2種類の蛇紋岩をはじめ、沖縄県産珊瑚石灰岩、橄欖岩、日華石などが使用されており、特に外装に多く使われたのが広島県倉橋島の桜御影と呼ばれる桜色をした御影石である。建材や設備の素材のほとんどすべてに純国産品を使用している。

二代 貞衛

二代目・貞衛は大正7年(1918年)榮吉・ウタの長男として生まれました。小僧として父榮吉のもとで一緒に石工仕事を始めました。しかし、第二次世界大戦に出征し戦死。

三代 正止

三代目・正止は大正13年(1924年)榮吉・ウタの次男として生まれ、貞衛と同じく第二次大戦の徴用にて横須賀港へ勤務しました。終戦となり復員。以降、男手のないなか家業の石材業を守り立てました。
その後、群馬県内の石材業者の賛同を集め、群馬県石材商工組合の設立に携わりました。また、群馬県石工技能士会設立にも携わりました。

(現)四代 茂

茂は現在の代表です。石工として50年を超えるベテランです。まだまだ技術を追い求めて精進の毎日です。
一級石材施工技能士(平成21年度群馬県技能競技大会石材加工部門一位)
職業訓練指導員(石材)

(予定)五代 功一

現在、見習い石工として修行中です。