空手と私の成長~その12
続きです。
春の全国選抜大会が終わると、新入生が入ってきます。
夏までの短い間ですが、三学年揃って一番大所帯の時期です。
新一年生にはT先輩の道場の後輩が何人かいました。他にも経験者が数人いて、顧問の先生の子供もいました。
今までに無いほどの高レベルな新入生です。モチロン初心者も半分以上です。
それでも十数人の新入部員が集まりました。
次の大会は春の高校総体です。この大会は勝ち進んでも関東大会までのものですが当然負けるわけにはいきません。
この大会で、私は個人の形の部出場を見合わされました。ケガのこともあるし、それ以上に同期のA宮の成長があったためです。私への反省を促す目的もあったのでしょうか。。
彼は見事に準優勝に輝き関東大会への切符を手に入れました。そしてその関東大会でも5位に入賞します。入部したとき未経験でこの成績はかなり優秀だと言えると思います。凄いセンスの持ち主です。
組手の部はやはり五人目のレギュラーが育たないまま、あれこれオーダーを組みましたが、ベスト8くらいで負けて関東へは行けませんでした。そのときのことはよく憶えています。準々決勝でmixiでもお友達のばやさんのチームと当たって、私は先鋒で出て、一学年下のN君に負けました。
こうやって振り返っても高校の競技空手は大会が多くて、集中して技を練るとか、自力をつけるという期間は少ないように思います。
そうやって、関東大会が終わると次はいよいよ夏のインターハイ県予選です。
この大会では私が個人形の部に出してもらえて、W君に続き準優勝でき、全国大会へ出場することが出来ました。
その夏のインターハイの結果はコチラ
W君は春夏連覇とは行きませんでしたが、3位入賞。
後輩Iも3位入賞と結果を出しています。
私は予選落ちでした。残念。
こうやって、私の高校空手は過ぎていきました。
充実していたし、空手のほかは何もしていない気がします。
クラスでも友達らしい友達は数人で、学校以外で会ったことはありませんでした。
授業中は寝ているか、漫画を読んでいるかで勉強なんてほとんどした覚えがありません。成績も入学するときは学年で2番(ここでも2番に縁がある私。。。)で入り、四月のナントか式で文章も読みました。たぶん国語は入試で100点取ったと思います。自信があったし初めての国語の授業でいきなり「ナガコウってどいつだ?」と教科の先生から聞かれました。アレがたぶんそのことなんだと思います。
卒業するときは見事にクラスでケツから4・5番くらいでした。
校門から出て、ちょっと角を曲がればあるお嬢様女子高の場所も2年生の途中くらいまで知りませんでした。
彼女なんて夢の話で、当時全盛期だったボケットベルも持っていませんでした。
夏の大会が終わり部活を引退してから少しだけクラスの友達と馴染み、途中まで一緒に帰るというのが私の高校時代のやっとの交流でした。
今でも自転車に制服の女の子と二人乗りすることが出来なかったことを後悔しています。(後に立って乗るスタイルね。アレアレ。)もはや叶わぬ夢です。。。
空手道 – livedoor Blog 共通テーマそんな中でも、違う高校へ行った中学校の友達が夜遊びに誘ってくれたときは出かけました。
二ヶ月に一回くらいの日曜休みの前の晩はアチコチ連れて行ってもらいました。
今はどれもなくなってしまいましたが、東急イン地下のKing&Queen、ブルーカフェ、前橋フリーズ、伊勢崎パラダイス(キングギドラとクレイジーAのステージを生で見ました。)、熊谷ヴォーグ…はまだあるかな?そこではなんと当時ZOOのナオヤに遭遇。桐生の方まで行ったこともあります。唯一の趣味らしい趣味でした。